源空寺寺歴

その昔、忍空上人が、深く法然上人の徳風を仰ぎ、浄土の教義に帰依され、山城の地に隠遁して草庵を結び、専修念仏せられたのが始まりとされております。
建久六年(1195)三月、法然上人が奈良大仏殿再建落慶供養の御導師に下向の帰途、留錫し教化なされました。
人々は上人の御影を安置せんことを請い、上人はその願いの切なるを感ぜられ、かねて御書写の法門と法語数通をもって、張貫きの像を御作りになり、これを忍空上人に授与されました。
ここに、草庵を改め念仏の道場とし、その尊像を安置し、上人を仰いで開山とされております。
慶長十七年(1612)江戸の播随意上人が、九州からの帰途、上人の御影像を拝し、一切衆生結縁のために、現在の地に移されんことを請われました。
時の大御所、家康公によって桃山城内の一宇を寄進され、此処に永く念仏弘通の専門道場の基礎が確立されました。
法然上人を開山とし、播随意上人を中興と仰ぎ、宝海山法然院源空寺と号するにいたりました。
御本尊は、法然上人尊像がおまつりされており、山門は、伏見城廃城のおりにその一部を移築されたもので、寺風の楼門に改修されております。
寺宝として、元伏見城巽櫓に奉安されておりました、豊臣秀吉の持念仏と伝えられる朝日大黒天、上人の遺されました張貫きの御影がございます。


「法然上人二十五霊場めぐり」

法然上人二十五霊場は、浄土宗の開祖である法然上人ゆかりの寺院二十五箇所を巡る霊場巡拝でございます。
1761年に僧霊沢が上人550回遠忌を機に発起されまして、選述した「円光大師二十五箇所案内記」を始まりといたし、1974年に浄土宗開宗800年を記念し、再興されました。
また、当霊場は浄土宗の寺院を中心にした巡拝でございますが、法然上人の御霊跡を巡る霊場でございますので真言宗や天台宗の寺院も含まれております。
札所は中国地方から近畿地方に渡りございまして、二十五箇所の霊場を巡拝するのは、法然上人御入寂の御命日である二十五日にあやかって選定された事によると言われております。

源空寺寺歴
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